[アイヌ問題] 学術的成果を悪用する回路――「純粋な民族はいない」論をめぐって

元記事作者様Danas je lep dan.



『わしズム』のアイヌ特集号を引っ張り出してみたら小林の漫画以外にも色々思うところがあったのでエントリあげるよ。

わしズム 2008年 11/29号 [雑誌]

出版社/メーカー: 小学館
発売日: 2008/10/29
メディア: 雑誌


この辺の主張を見ていて思うのは,「純粋な人種/民族」は存在しない,という,様々な学問(生物学だったり文化人類学だったり歴史学だったり)の成果が都合良く切り取られて悪用されているということ。たとえば小林は漫画の中でこう述べる。

ちなみに,ナチズムに対する反省からユネスコは1951年に人類学者を招請して「人種と人種差別の本質に関する声明」を発表。その中で「純粋な人種が存在するという証拠はない」と明言している。*1

*1:小林よしのり「国民としてのアイヌ」『わしズム』28,2008,p.19。


また,人類学者の河野本道は,こう言う。

「民族」という用語は,文化集団を意味する場合もあれば社会集団を意味する場合もある。宗教によって枠づけられる集団のこともあれば,言語によって枠づけられる集団のこともあり,それにはまた,専門用語と通俗的用語との間のずれもある。(……)日本語の「民族」という用語は非常に幅のある言葉で,使い方や解釈の仕方によっては誠に危険な言葉なのである。*2

*2:河野本道「〈アイヌ系日本国民〉を『アイヌ民族』と言えない学術的根拠」同,p.63。


そもそも,学問的には,純粋な「人種」とか純粋な「民族」の存在が認められているというわけではない。*3

*3:同。


どちらも,そこだけを取り出せば至極真っ当な見解である。だが問題は,「だから『純粋な』アイヌなんて存在しない。そもそも存在するわけがない」という,学問的には真っ当な主張が「ゆえに彼らを『アイヌ』と呼ぶことは難しい」という謎の変換をされてしまう回路にある。それを言うなら同様に「和人」「日本人」だって存在が怪しいはずなのだが,何故か彼らは「日本は単一民族国家である」*4と主張する。

*4:小林「国民としてのアイヌ」p.19。

「純粋な○○人」は存在しない,という公理がふたつの自称民族のどちらか一方にだけ当て嵌められる回路――これを差別的と言わずして何と言おう。「日本人」も「アイヌ」も自称に過ぎない。だが,学問の側が提起してきたのは単にそれだけではなく,だからこそ個々の「民族」の声に耳を傾けるべきだ,ということではなかったのか。「純粋な○○人は絶えた。お前たちは偽物だ」という主張の暴力性が,問題にされてきたのではなかったのか。まさしく,「学問の暴力」として。それは,文化人類学が通過してきた道,場所によっては今なお通過している道だというのに。彼らはこうやって学問の蓄積を台無しにする。日本人が洋服を着てiPodを使って大量の借用語を混ぜながら会話し,お祭りの時だけ法被を纏うのは許しても,アイヌが同様のことをすると「文化を失っているじゃないか」と言う,このダブルスタンダードこそが差別である。

現代のアイヌ文化とは―二風谷アイヌ文化博物館の取り組み

作者: 中村尚弘
出版社/メーカー: 東京図書出版会
発売日: 2009/06
メディア: 単行本


ある文化人類学者は次のように指摘した。「現代の日本社会に住む『日本人』でない人はいわゆる『他者』であり,日本人の想像の中で独特な生活スタイルをしていると信じられている」*5。当たり前だが,インディアンだってジーンズを穿くし,チベット人だってモバイルを操る。それと同じように,アイヌも振る舞っているだけだ。

*5:中村尚弘『現代のアイヌ文化とは――二風谷アイヌ文化博物館の取り組み』東京図書出版会,2009,p.83。

ジーンズを穿き,ロックを聴き,ガムをくちゃくちゃ噛みながら,「先住民なんだから物々交換しないと」とジョークを言い,それに応えて自分のこれまでの人生を物語る若いインディアンが登場する映画に寄せて,あるインディアン研究者は次のように書いた。

時代は変わり,生活はアメリカ人一般とそう変わりはなくなっても,物語という先住民の口承伝統は,日常生活の中に息づいていることが伝わってくる。先住民は高貴なる野蛮人でも,血に飢えた殺人鬼でも,天性のエコロジストでもなく,他の民族と変わることのない,人間の普遍的属性を持つ。ただしインディアン性を際だたせる習俗や儀式は失われても,世代を超えて固有の伝統の何かが生き残っている。これが現在のインディアン社会のリアリティである。*6

*6:阿部珠理『アメリカ先住民――民族再生にむけて』角川学芸出版,2005,pp.166-167。


僕も普段は洋服を着て朝食にはパンを食べて暮らしているが,神社に行けばそこに神を感じるし,実家に帰れば仏壇を拝む。そしてまるで伝統とは無縁の音楽を聴きながら,自分を「日本人」と定義する。そういうものだ,現代の民族文化とは。

また小林は,アイヌ(および,沖縄人)の定義をめぐって,「血にこだわって偏狭な『民族主義』に陥」っていると批判する*7。仮にアイヌ協会が,単にアイヌの血を引いているからという理由で,自分をアイヌではなく和人とアイデンティファイしているひとを捕まえて無理矢理「アイヌ」と呼んでいるのなら,僕はそれを批判するだろう。だが現実に行われているのはその逆,単に和人の血を引いているからという理由で,自分をアイヌとアイデンティファイしているひとに向かって「お前はアイヌ民族なんかじゃない」と呼ぶ行為だ。

*7:小林「国民としてのアイヌ」p.14。

アイヌにだけ,和人にも要求されていない「純粋な文化」を求めるような言説は,差別的である。いくら「アイヌを差別する意図はない」などと言おうが,変わりない。このことは,繰り返し強調しておきたい。

関連記事
スポンサーサイト

タグ: アイヌ, 民族, アイデンティティ, 民族差別, 純血主義, 「単一民族国家」, 小林よしのり, Danas_je_lep_dan.,

[ 2012/08/05 ] アイヌ問題