「西蔵の平和的解放の弁法に関する協定」と「韓国併合条約」

元記事作者様誰かの妄想



ま、どちらも強制されたもので似ているな、と。


「西蔵の平和的解放の弁法に関する協定」というのは、1951年5月にチベット代表団が北京で中国共産党政府と結んだ協定であり、締結にあたって人民解放軍の圧力があったことは想像に難くない。

この協定は、同年9月にラサのダライ・ラマ14世(当時16~17歳)によって、批准されている。


また、1950年10月の人民解放軍のチベット侵攻に際し、チベット政府は英米インドに支援を要請したが、英米は同情のみで具体的な支援は行わず、インドにいたっては「チベット問題は中国の内政問題」として取り合わなかった。


この辺は、ハーグに密使を送ったにも関わらず列強から支援を得られなかった大韓帝国皇帝を髣髴とさせる。


また、1910年の韓国併合条約締結にあたって、地方では義兵などの反日闘争が展開されたものの、ソウルでは日本軍の圧力により(当時、韓国軍は伊藤博文によって解散させられ、日本軍1個師団強が展開していた)平穏だったことも、1951年のチベットに似ている。


と、ここまで徒然に書いたのであまりまとまってないなあ・・・。ま、いいか。


(追記2008/3/29)

以下に「西蔵の平和的解放の弁法に関する協定」のリンクを張ります。

条文が17条であることから「17条の協定」と呼ばれることも多いようです。


「中央人民政府和西蔵地方政府関於和平解放西蔵辨法的協議」(和訳)
http://www.interq.or.jp/neptune/amba-omo/17agr-j.html

中央人民政府和西藏地方政府关于和平解放西藏办法的协议
http://news.xinhuanet.com/ziliao/2004-12/16/content_2342421.htm


ところで、”中国のチベット虐殺”とか叫んでいるネトウヨの中には、「チベットは軍隊を持たない平和国家だった」みたいな発言をする馬鹿もいるようで。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215536067


でも、西蔵の平和的解放の弁法に関する協定の第8条には

「 チベット軍は逐次人民解放軍に改編し、中華人民共和国国防武装兵力の一部とする。」

という項目があることからわかるように、チベットはちゃんと軍隊を持っている国家でした(旧式装備で近代戦を戦う能力はほとんどなかったようですけどね)。


この他、1904年には、イギリス軍の遠征隊とチベット軍が戦ってます(イギリス軍負傷者6名に対し、チベット軍死傷者850名と言われてます)。そして、この時はイギリス軍がラサに進駐し、ラサ条約を締結しており、時のダライ・ラマ13世はモンゴルに逃亡しています。

この後1906年、北京条約でチベットに対する清国の宗主権が認められました(チベットを無視した勝手なものですが、日本も韓国併合に際して同様の条約を列強と結んでますね。あと、チベットに課されていたイギリスへの賠償金は、清国が肩代わりすることになりました。)。

この当時はチベットをめぐって、イギリス・ロシアが勢力争いをしていたので、協定の第1条「チベット人民は団結して、帝国主義侵略勢力をチベットから駆逐し、チベット人民は中華人民共和国の祖国の大家族の中に戻る。」というのも、根拠なしとは言えない。無論、かといって中国の勢力下になることが正しいとは言えないが。

この辺は、「日本が韓国併合しなければ、朝鮮はロシアや中国の植民地になっていた(だから併合は正しい)」という正当化論に似ている。



管理者コメント
「誰かの妄想」の管理人様の解説に感謝。確かに中国がチベットを支配下に置くまでの過程と日本が朝鮮(韓国)を支配下に置くまでの過程はよく似ている。さらに言えば、日本も中国もそれぞれが人口増加だの平均寿命だのを持ち出して自国の植民地支配を正当化するところも面白いほどそっくりなのだ(中国の主張についてはこちら)。この点では日本も中国も全く同じ穴のムジナと言えるし、結局のところ如何に美化しようが植民地支配は植民地支配に過ぎず、決して許されないことなのだ。
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タグ: 中国, チベット, ダライ・ラマ14世, 韓国・朝鮮, 韓国併合, 植民地支配, 侵略, 誰かの妄想,

[ 2012/07/20 ] 中国の民族問題