嫌韓厨が示す朝鮮の人口推移データを考察する

元記事作者様誰かの妄想



韓国併合(日韓併合)を正当化するどころか善政だったと嘯くバカが用いる根拠として、植民地朝鮮の人口増データがあります。

嫌韓厨らが良く用いるデータを下記に示します。


http://www.geocities.jp/kankokuchousen/kankoku-003.html
1753年  730万人  -
1850年  750万人  -
1906年  980万人 朝鮮は日本の保護国へ
1910年 1312万人 日韓併合条約
1920年 1691万人  -
1930年 1968万人  -
1940年 2295万人  -
1945年 2512万人 日本の敗戦
2004年 7130万人 韓国・48,598,175、朝鮮・22,697,553



このうち、1906年までの統計は正確さに大きな疑問があるので、本来ならそのまま使えません。


大体、1906年に980万人だった人口が、たった4年で1312万人になったということをそのまま信じるほうがおかしいわけですが、嫌韓バカにはそれがわかりません。


ありえない想定ですが、仮に4年間に誰も死ななかったとしましょう。すると、4年間に生まれた子供の数は332万人ということになります。


980万人全てが出産可能な年代の男女だったとして、490万組の夫婦がいたと仮定すれば、4年間に332万人の新生児が生まれることはありえるかもしれませんが・・・。
そんな人口構成はまずありえませんね。


もう少し現実的な想定をすれば、980万人の半数が女性として(490万人)とした場合、4年間で330万人の子供を生むためには、たとえば、以下の条件が必要です。


女性1人が生涯に出産する人数=5人
女性の平均寿命=30歳


(むちゃくちゃ簡単な計算でシミュレートしてみると、

4年間に生まれる子供の数=490万人×(5人÷30年)×4年=327万人

となり、大体330万人と一致します。)


しかし、この場合、朝鮮の成人女性のほとんど(1/3~1/2)は妊娠中であることになりますから、やはり無理がありますねえ・・・。
どんだけベビーブームだったんだか・・・・。
ちなみに、この仮定では4年間に1人も死者がいないことになってますが、これも無理がありますね。


自然増加以外に考えられる可能性としては、国外からの流入ですが、わずか4年で数十万人規模の流入があったというのも無理があります(この時期(1906年~1910年)最も増えた外国人は日本人ですが、4年間でわずか8万人程度にすぎません)。


まあ、ここまで回りくどい記述になりましたが、要するに言いたいのは、

「1906年の韓国人口980万人は、信頼できる数字ではない」

ということです。

すると、
1753年 730万人
1850年 750万人


も人口統計としては信頼できないことが予測できますね。


ところで、「朝鮮の歴史」(朝鮮史研究会編、三省堂、1995)によると、1717年の政府統計では、全国人口は682万9771口(154万7709戸)であるとされています(P184)。
ここから、上記の1753年、1850年データは、政府統計によるものであろうと想像できますが、そもそもこの政府統計は全人口を知るのに適しているのかどうか疑問です。
というのも、政府の人口統計は徴税を目的としているため、幼児や老人、白丁などの被差別民が含まれていない可能性があるからです。
実際、ネットで調べてみると以下の論文を見つけました。


「韓国の統計制度史」黄 仁相
http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.13.japanese/Hwang.htm


「これらの調査は申告式であり、身分と収穫率にしたがって軍役と無関係な女子、賎・奴などの疎外層は調査対象から除外されたり漏らされたりした。 」
これによると、女子の人口はまるで加味されていないようですね(妻の記載欄はあるらしいが、上記論文の表現から判断すると「口」としてカウントされてはいないように思う。)。


また(参考として)、1721年に江戸幕府は全国人口を行ってますが(2600万人)、武士・公家は含まれてませんし、被差別民も除かれていたと言われています(「人口で見る日本史」鬼頭宏、PHP研究所、2007、P89)。実人口は、速水融の推定法によると、幕府調査人口に20%を加算したものではないかと言われています。

近代以前の人口統計では、人口調査結果をそのまま用いる事はできず、どうしてもこのような補正が必要となるわけです。


★1717年の朝鮮全人口を推定してみる


基本データ:朝鮮政府統計(1717年):154万7709戸 682万9771人


参考データ1:「軍役と無関係な女子、賎・奴などの疎外層は調査対象から除外」(「韓国の統計制度史」)
参考データ2:「(日本の)実人口は、速水融の推定法によると、幕府調査人口に20%を加算」して武士・公家・被差別民を加味する
参考データ3:朝鮮出兵時(1592年)に日本が予測した全朝鮮の石高:1191万6088石(「朝鮮の役」旧参謀本部、徳間書店、1995、P348)


参考データ1より、682万9771人は賎・奴などを除いた男子であるとして、賎・奴などを除いた女子を加味すると、

682万9771人×2=1365万9542人=1370万人

となる(男女比は1:1と想定)。

これから、賎・奴を加味した人口を推定するにあたって、速水融の推定法を援用する。
ただし、武士・公家にあたる人口については今回の統計においては考慮の必要がないため、20%ではなく7~10%として推定する。

1370万人×1.07~1.1=1470万人~1510万人

となる。
したがって、1717年当時の朝鮮人口は約1500万人と推定できる。


この1717年から125年前の予測石高1200万石(参考データ3:約1200万人と推定)から考えても、妥当な推定ではなかろうかと思う。


さて、以上の手法を用いて以下の2時点の人口を推定してみるとこのようになる。

1753年 730万人→1560万人~1610万人
1850年 750万人→1600万人~1650万人


ちなみに、日本右翼のロビー活動を行う崔基鎬は、「日韓併合 歴史再検証」(崔基鎬、祥伝社、2004)に、韓国国定教科書からの引用として、1777年1804万人、1877年1689万人という数字を出している(で、人口が減っているのは李氏朝鮮が悪政だったからと主張しているわけだが)。


並べてみるとこうなる。

1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)


さて、1906年の980万人ですが、山木さんが調べたところ、元ネタは日本人の警務顧問によるよる調査人数ということで、これまでの朝鮮政府統計とは、統計の取り方が違います。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20060423/p1

このため、1906年の980万人は男女込みの人数になってます(ただし男女比が不自然であり、統計の不完全さを物語っている)。
実際、「日本側は朝鮮人人口を1700万人くらいと予想していた」そうです。
(水野直樹「Q10 日本支配下で朝鮮の人口は急増したのか?」『日本の植民地支配』p30)

そもそも1906年と言えば、既に後期義兵闘争が始まっている時期です。この時期に日本の警察が戸口調査をしても、正確な統計が得られないのは当然でしょうね。
この980万人から、実際の人数を直接推計するのは困難ですので、その後のデータを参照してみましょう。
なお、(水野直樹「Q10 日本支配下で朝鮮の人口は急増したのか?」『日本の植民地支配』p31)の引用として山木さんが載せている推計を用います。


1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)
1940年 2355万人(警察調査2295万人からの推計)


では改めて、1906年の980万人を考えます。
並べてみるとこうなります。

1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1906年  980万人(警察調査まま)
1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)
1940年 2355万人(警察調査2295万人からの推計)



明らかに1906年のデータがヘンとしか言いようがありませんね。


1877年と1910年の人口から判断すれば、1906年の人口もおそらくは1600万人程度であったと考えられますね。


では、実際に1600万人もいたにも関わらず、警察が調査できたのは980万人に過ぎなかったのはなぜでしょうか?


まず、考えられるのは日清戦争・日露戦争や日本軍による韓国占領・軍律支配、義兵闘争などの影響です(開国前後の1877年以降なので、李朝政府単独の問題ではありえない)。

特に日露戦争で日本は、緒戦で韓国内からロシア軍を撃退した後、韓国駐箚軍による占領支配を実行します。この支配にあたっては日本軍は軍律を定めて、軍の行動に対する妨害行為には死刑の適用まで行ってます(「悲劇の朝鮮」(アーソン・グレブスト)にも、日本兵による朝鮮人の射殺をドイツ領事の言として紹介されている)。こういった状況下で、日本に対して直接的な抵抗をした者、消極的な抵抗をした者が、警察による戸口調査から外れたことは十分ありえるでしょうね。

また、日露戦争の際には、戦火を避けようと土地を二束三文で手放した韓国人も多かったそうです(「植民地朝鮮の日本人」高崎宗司、岩波新書、2002、P90)。利にさとい日本人の中にはこういった土地を買いあさって戦後、巨万の富を築いた者もいたそうです。さらに、韓国駐箚軍も200万坪近い土地を軍用地として接収してますので(「軍用地と都市・民衆」荒川章二、山川出版社、2007、P39)、このようにして土地を手放し、大した金も得られなかった韓国人の中には、難民化した者も少なくなかったでしょうね。


こういったことの積み重ねが、結果として600万人もの調査漏れを生じた原因ではないでしょうか。(でなければ、よほど日本の警察が無能だったことになりますしね。)


要するに、この調査人口と実人口の乖離は、日本軍による苛烈な支配とそれに対する韓国人たちの対日感情を暗示している、といえそうです。



管理者コメント
「誰かの妄想」の管理人様の検証に感謝。前回の朝鮮人口の記事で「ポンニチのコピペ(´・ω・`)」の管理人様も指摘していたのと同じく、やはり韓国が日本に併合される以前の人口統計はそもそも取り方自体が違うし精度も低いから併合後の人口との比較には使えない。それを踏まえた上で「誰かの妄想」の管理人様がさらに詳しい検証をした結果、本文中にあるような人口データが出たわけだ。

これを見て「しかし人口が増えていることには変わりないだろう」と思う人もいるかもしれないが、そもそも同時期の欧米植民地などでも人口は増えているので人口増加自体は別に不思議なことではない。今回の記事で重要なのは、ウヨクが多用する朝鮮の人口統計のコピペおよびそれを根拠にした「日本の朝鮮統治は善政だった」という主張がおかしいということだ。なお、「誰かの妄想」の管理人様はこれに加えてさらに詳細な検証とウヨクの主張への反論を交えた記事も書いているのでまた後日に紹介する。

人口増加は善政の証という勘違い」に続く。
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タグ: 韓国・朝鮮, 韓国併合, 植民地支配, 人口, 統計, 日露戦争, 捏造コピペ, 誰かの妄想,

[ 2012/06/09 ] 韓国・朝鮮史