実際の理由はさておき、その歴史の不勉強さだけでも更迭に値した田母神前航空幕僚長

元記事作者様BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com



最高幹部の歴史知識がこの程度とは自衛隊の恥でしかなく、そもそもここまで昇進させたことが間違いなのでしょうけれど、更迭は必然といいますか、更迭させなければ政府の信認に関わる大問題となっていたことでしょう。ついつい次のジョークを思い出してしまいました。

赤の広場で、酔っ払いが、「ブレジネフはバカだ!」と叫んでいた。すぐにKGBがやって来て、酔っ払いを逮捕し、懲役22年を言い渡した。国家侮辱罪で2年、国家機密漏洩罪で20年。


アネクドート - Wikipedia

どのような点において歴史知識に誤りがあるか、特にひどい点について以下。

アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。


田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」

満洲事変は?

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。


田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」

まず、侵略と統治の良否は独立した問題です。侵略後の統治が仮によかったからといって、侵略をしたかどうかの判断が変わるものではありません。また、人口の増加については、scopedogさんが欧米諸国の植民地との比較をされていますが、別に満洲・朝鮮だけにおいて顕著に人口の増加があったわけではありません。

これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。


田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」

19世紀にはインド各地でインド人向けの教育制度が大学に至るまで整備されていましたし(有名どころでラマヌジャンぐらい知っていてもよさそうなものですが)、インド人士官であるKCIOはイギリス人士官であるKCOと同等だったのですが。

さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。(略)これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。


田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」

ハルノートは最後通牒ではありませんし(ただ、日本側がそう考えたのは事実)、ホワイト(ちなみに首席補佐官ないし財務次官補であって財務次官ではないのですが、ひょっとして印象操作?)が書いたメモは部分的に取り入れられたに過ぎないのですけれども。

そもそも論としては、ハルノートの手前の段階で日米関係に決定的な亀裂をもたらしたのは仏印進駐、とりわけ南部仏印進駐です(仏印進駐後に屑鉄・石油は対日輸出禁止)。どうせ与太を飛ばすなら、仏印に進駐しても対米関係には深刻な影響は与えないなどと考えていた当時の軍部・外務省こそがゾルゲ経由でコミンテルンに動かされていた、ぐらいは言ってもらわないと。
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タグ: 韓国・朝鮮, 台湾, 満州, 中国, 米国, 侵略, 植民地支配, 人口, 太平洋戦争, 田母神俊雄,

[ 2017/05/02 ] 韓国・朝鮮史

2万人殺して成立した「日韓併合」

元記事作者様ザ・ブッタ斬り



前文

「韓国側に頼まれた・韓国の皇帝や政府が認めた・韓国のため・国際社会が認めた」等々、日韓併合を正当化する様々な歴史認識が、世間に出回っています。

以下の情報を見れば、日本の都合で韓国を強引に植民地化したことは、否定できません。

韓国民の長期にわたる根強い抵抗運動を討伐し、約2万人を殺して一応鎮圧した後に日韓併合が行われたことこそが、それを象徴しています。


1.韓国から求められた?日韓併合

「日韓併合は、韓国最大の政治団体(一進会)に求められて行われたことであり、正当である。」という説があります。実態は、下記の年表情報から判断できます。

「日本史年表  増補版」 岩波新書  歴史学研究会編

1909/12/4 韓国一進会、日韓合邦に関する上奏文を韓国皇帝に提出、却下される

1910/9/12 韓国統監府(ブログ注:韓国を支配する日本の官庁)、朝鮮の全政治結社解散の方針により一進会を解散。

(コメント)
一進会による「日韓合邦」の上奏は韓国皇帝により却下され、また、一進会は日韓併合直後、日本によって他の政治団体とともに解散させられています。

一進会に対する評価は様々ですが、日韓併合直後に一進会を解散させた日本が、「一進会の求めによって日韓併合を行った」などと言える筋合いは、ありません。

(注:一進会が求めた「日韓対等の合邦」と「日韓併合」は異なるものです。)



2.韓国皇帝による抵抗

当時韓国の主権者であった韓国皇帝は、日本による韓国支配への動きをどう見ていたのでしょうか、以下年表情報を参照願います。

「日本史年表  増補版」 岩波新書  歴史学研究会編
1904/2/10 宣戦布告(日露戦争)

1904/2/23 日韓議定書調印

1904/8/22 日韓協約(第1次)調印

1905/9/5 日露講和条約調印(韓国保護権、南樺太・遼東租借権、東支鉄道支線などを獲得)

1905/11/17 第2次日韓協約調印(外交権を日本が掌握)、朝鮮全土に反日暴動おこる

1907/6/15 第2回ハーグ国際平和会議開催(~ 10-18)・
韓国皇帝高宗、同会議に密使を送り、日韓協約の無効を訴える。

1907/7/3 伊藤韓国統監、ハーグ平和会議への密使派遣で韓国皇帝の責任追及。

1907/7/19 皇帝譲位

1907/7/24 第3次日韓協約調印(韓国の内政全般を掌握)

1909/12/4 
韓国一進会、日韓合邦に関する上奏文を韓国皇帝に提出、却下される

1910/8/22 韓国併合に関する日韓条約調印(-29 公布施行)

(コメント)
韓国皇帝が、ハーグ国際平和会議に密使を送り、(日韓併合に先立って締結されていた)日韓協約の無効を訴えたということは、日韓協約が(韓国皇帝によって公式に承認されたことになっていても)、納得ずくで締結されたものではないことを象徴しています。

それは、この後1910年に日韓併合のために締結された「韓国併合に関する条約」も納得ずくで締結されたものではないことを、示唆しています。

タグ: 韓国・朝鮮, 韓国併合, 義兵闘争, 侵略, 植民地支配, 日本軍の蛮行, 一進会, ザ・ブッタ斬り,

[ 2012/08/22 ] 韓国・朝鮮史

「1910年の朝鮮人平均寿命26歳説」の謎

元記事作者様誰かの妄想・はてな版



内容はタイトル通りです。

嫌韓バカによって流布されている説の一つである、1910年の平均寿命26歳説だが、ネット上では諸説あって、24歳説や、20代説など混在している。

問題はそのソースなのだが、これがどうもはっきりしない。

歴史関連のデマ・不正確さには定評のあるwikipediaには以下のような記載があり、

衛生面では、朝鮮半島で流行していたコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病の予防政策も行われて乳児死亡率は減少し、また農地の開発により食糧生産量も激増したことで、人口は、併合時(1910年)の調査では13,128,780人[44]だったものが1944年の調査では25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた[45][46]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE


平均寿命関連の参考文献として、朝鮮総督府『統計年報』と黄文雄(笑)の『歪められた朝鮮総督府』があげられているのだが・・・。

実際に調べてみたが「統計年報」にも「歪められた朝鮮総督府」にも、1910年当時の平均寿命の記載は見当たらなかった。

つまり、ソース不明。

怪情報と言う他ない。

というわけで、ソースをご存知の方、ご一報いただければ幸いです。


ちなみに、日本人の平均寿命も30歳を超えたのは明治に入ってからなので、1910年当時の朝鮮人の平均寿命が20代であっても特に不思議ではないのだが、1910年の統計はかなり精度が低く平均寿命が計算できるようなものではないので、どうやって”26歳”という数字が出てきたかは不思議なのです。

タグ: 韓国・朝鮮, 韓国併合, 植民地支配, 平均寿命, 統計, 黄文雄, ウィキペディアのデマ, 誰かの妄想,

[ 2012/07/14 ] 韓国・朝鮮史

四方氏の研究 (韓国・朝鮮の両班について)

元記事作者様誰かの妄想・はてな版



嫌韓バカが李氏朝鮮時代を誹謗するのに良く使われる史料として、京城帝国大学教授の四方博氏の研究がある。

以下の表は有名なので、見たことも多いかと思う。


身分別戸数とその比率(大邱、慶尚道)


 両班戸(%)常民戸(%)奴婢戸(%)総数(%)
1690年2909.2%169453.7%117237.1%3156100%
1729・32年57918.7%168954.6%82426.6%3092100%
1783・86・89年105537.5%161657.5%1405.0%2811100%
1858年209970.3%84228.2%441.5%2985100%

(「両班 李朝社会の特権階層」宮嶋博史、中公新書、1995、P198)


身分別人口数とその比率(大邱、慶尚道)


 両班(%)常民(%)奴婢(%)総数(%)
1690年10277.4%689449.5%599243.1%13913100%
1729・32年226014.8%806652.8%494032.4%15266100%
1783・86・89年392831.9%641552.2%195715.9%12300100%
1858年641048.6%265920.1%412631.3%13195100%

(「両班 李朝社会の特権階層」宮嶋博史、中公新書、1995、P199)

これを引用して、李朝末期の朝鮮は人口の半分が両班で異常な社会であったと主張する嫌韓バカが多い。ネット嫌韓だけじゃなく、右翼ロビイストも同様の主張をしている。例えば、嫌韓ロビイストの中ではまだまともな方と思える呉善花であるが、著書「韓国併合への道」P23-24で以下のように述べている。

タグ: 韓国・朝鮮, 両班, 身分制度, 人口, 呉善花, 崔基鎬, 誰かの妄想,

[ 2012/07/08 ] 韓国・朝鮮史

人口増加は善政の証という勘違い

元記事作者様誰かの妄想・はてな版



前回は、日本の朝鮮統治善政の根拠として嫌韓バカが用いる人口推移データに対して、若干の考察を以て補正してみたわけですが、

嫌韓厨が示す朝鮮の人口推移データを考察する|誰かの妄想


もちろん、嫌韓バカは「日本統治期間中に人口が増加していることは変わらないじゃないかwww」とか言って嘲笑するのでしょうが(そもそも怪しげなデータを使っての主張を恥ずべきなのだが、嫌韓バカの辞書が落丁が多く「恥」という字が存在しないので指摘しても無駄)、これには続きがあります。


朝鮮の人口推移

朝鮮人口(推計)備考
1717年1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1910年1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年2221万人(警察調査2125万人からの推計)
1940年2355万人(警察調査2295万人からの推計)

これを見ると、補正後のデータでも1910年から1940年までに人口は1631万人から2355万人まで確かに増えています。

30年間の人口増加率は44%、1年平均増加率は1.2%である。

これ自体、既に山木さんが指摘しているとおり、同時期の日本の人口増加率とほぼ同じであって朝鮮の人口が急増したとはいえないわけです。

blog*色即是空

もちろん、これに対する反論として考えられるのは、

【嫌韓ちゃん】「日本は、朝鮮に対しても日本と同様に扱ったため、朝鮮も日本と同様に人口が増加した」


というものです。

実は、この時期、日本の人口増加に日本自身が困り、海外移民や朝鮮への殖民などの人減らしを行ったり、朝鮮からの米の輸入により内地の食糧自給率を高めようとしたり(当然、朝鮮では米が不足する。いわゆる飢餓輸出の状態)するわけで、人口増加が善政の結果ではなく、むしろ当時の日本が決して先進国などではなく人口抑制ができない途上国であったことを物語っているわけですが・・・

しかし、そういってしまうとそれなりに知識のある人たちには「確かに人口増加したからって善政とは限らんよね」と理解できるでしょうけど、嫌韓バカや、その方面の知識を専門としない普通の人たちには理解しづらいので、もう少し説明を続けます。


ところで「日本の朝鮮統治が善政だった」という主張には、暗に「日本の統治は欧米の植民地支配とは違う善政だった」という欧米との比較が含まれています。

そこで、じゃあ、欧米の植民地ではどうだったかを調べてみましょう。

(この辺、嫌韓本には「人口が減った」とか色々書かれていますが、ソースが不明なもの、特定の一時期・地域の状況のみ示したものばかりで全体の傾向がわからないので、あまり役には立ちません)

タグ: 韓国・朝鮮, 韓国併合, 植民地支配, 人口, 統計, 人口増加率, 東南アジア, 中国, 誰かの妄想,

[ 2012/07/01 ] 韓国・朝鮮史