サンフランシスコ講和会議にみる「アジア解放の戦争」という怪

元記事作者様◆ 美しい壺日記 ◆



サンフランシスコ講和会議の際に日本より被害を受けたと述べた国はたくさんありましたが、日本のおかげで独立したという国は一国もありませんでした。

【サンフランシスコ講和会議でのアジア諸国の態度】

■1988(昭和63)年5月24日 第112回国会 参議院外務委員会 第10号議事録
政府委員(外務省条約局長):斉藤邦彦
参議院議員:吉岡吉典
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/112/1110/11205241110010c.html
(一部抜粋)
吉岡吉典:サンフランシスコ講和会議(*1)でアジア諸国が、幾つもの国が日本の侵略を厳しく糾弾する演説をやっている問題なんですね。私、事前にこれに関連して質問するということも通告しておきましたので、どういう国が日本の過去の侵略について厳しい批判を行ったか、外務省の方から述べていただきたい。

政府委員:サンフランシスコ講和会議の際に日本より被害を受けたと述べた国は、ラオス、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、オランダといった諸国であると承知しております。

吉岡吉典:私が読んだところではまだ幾つかありますけれども、数はいいわけです。これらの国の演説というのは、私が読んだ本によれば、事前にダレス特使がいろいろ圧力をかけたり、買収工作をやって本会議でこういう演説が行われないようにさんざん工作した(*2)にもかかわらず飛び出した発言で、当時の吉田首相は、ダレスの力も大したことないなと側近に語ったということまである本で書かれている。例えばインドネシアはこう言っていますね。「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。」、こう言っています。四百万人が殺された。フィリピンの演説を読んでみますと、こう言っています。「千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他にわが国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。」後、続くわけですけれども、私は改めてこの議事緑を読んで、こういうことを日本国民にも知らせないできた。同時にサンフランシスコ平和会議の受諾演説で吉田首相はこういうアジア諸国の批判に答えてもいない。外務省どうですか。

政府委員:受諾演説の中にはそういうくだりはなかったと承知しております。

吉岡吉典:日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。

政府委員:そのような声明を行った国はなかったと承知しております。

(ここまで)


*1)サンフランシスコ講和会議
1951年9月4日からサンフランシスコ市の中心街にあるオペラハウス (War Memorial Opera House) において、全52カ国の代表が参加してサンフランシスコ講和会議が開催され、9月8日に49カ国が署名し閉幕した。

対日講和の手続きは、当初アメリカ、ソ連、イギリス、中国の4ヵ国合意のうえで進めることになっていたが、アメリカは日本を資本主義陣営として協力を得るため講和条約の締結をいそいだ。アメリカ、イギリスの作成した講和条約案にはインド、ソ連などが反対。ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの3ヵ国は会議に参加したが、「全面講和でなければならない」という考えから調印には加わらなかった。インド、ビルマは会議への参加を拒否した。中国、朝鮮、モンゴルは招待されていなかった。中国は1951年9月18日と翌1952年5月5日の2度にわたり、同条約の違法性を指摘し、条約を認めない考えを表明した。


*2)1951年2月、9月に開かれる講和会議を前にして、アメリカの大統領特使ダレスが、フィリピンとオーストラリアを訪問した。[略]フィリピンは賠償問題でダレスともめ、会談は物別れに終わったばかりか、反ダレスのデモがおこった。
[略][サンフランシスコ講和会議では]インドやビルマは、講和の内容が不満であるとして、会議そのものに欠席した。[略]
[略]結局、フィリピンと南ベトナムは賠償請求権を放棄せず、インドネシアでは条約が国内の反対にあって批准されなかった。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060507
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タグ: サンフランシスコ講和会議, 太平洋戦争, 「アジア解放」, 東南アジア, 侵略, 日本軍の蛮行, 発言録, 外務省, 美しい壺日記,

[ 2012/07/26 ] 「アジア解放」

「大東亜戦争」 日本を評価しない人々

元記事作者様南京事件-日中戦争 小さな資料集



世界が「日本の戦争」をどう見ているのか。

これに対しては、一面的な「回答」は難しいでしょう。国により、あるいは個人により、さまざまな「見解」がありえます。

しかし少なくとも、世界中が「大東亜戦争」を褒め称えている、と断言したとしたら、それははっきりと「ウソ」です。しかしネットには、このような声のみを集めて、あたかも世界中が「日本の戦争」を評価しているかのようなイメージをつくっているコピペをしばしば見かけます。


某掲示板で、私の前に、何の脈絡もなくこのようなコピペを並べてきた方がいました。こちらも遊び半分で、「日本を評価しない」声だけを集める、という、意地の悪いお返事をしてみました。

この「お返事」を、こちらに収録します。読者の方には、「評価」の声だけを集めるのは極めて一面的であり、世界には多様な見解がある、ということだけご理解いただければ結構です。

中にはバー・モウのように、「一面評価、一面否定」のような方もいますが(バー・モウは日本軍政への「協力者」でありましたので、「評価」の側面があるのは当然のことでしょう)、「大東亜戦争万歳」派を見習って(笑)、「否定」の面だけあえて強調します。

※念のためですが、私は、世界が「日本の戦争」に否定的評価を持っている、と主張しているわけではありません。「万歳派」の手法を使えばこんなこともできてしまう、という「遊び」です。


タゴール(インド) 1924年6月

 いまあなた方は、歴史のうえでもったことのないもの、属国というものをもっている。またあなた方より軍事力の弱い国を、一つ近隣にもっている。極めて率直にいわせていただければ、朝鮮人や、みなさんよりずっと不幸な人々への、不正な取り扱いの実例を、たまたま聞いて、私はひどく失望させられ、深く心を傷つけられている。

(大江志乃夫『張作霖爆殺』 P61-P62)

*インドの詩人。1913年ノーベル文学賞受賞。来日の際の公演。



ラウレル(フィリッピン)

 われわれフイリッピン人は日本軍のお蔭で独立しました。心底から有難い。この感謝は永久のものです。しかし独立後に一体日本軍は何をしてきたか。われわれを抑圧するばかりである。われわれには現在実力がない。しかしもしわれわれが実力をもった後でもなお日本軍が今のように無軌道であるならば、必ず復讐します。

(『田尻愛義回想録』P113)

*日本軍政下でフィリッピン大統領を務める。大東亜会議にも出席。


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[ 2012/06/25 ] 「アジア解放」

世界の歴史教科書における太平洋戦争の記述

元記事作者様社会問題リンク集



各国の代表的な歴史教科書における記述の抜粋

【中国】【台湾】【韓国】【フィリピン】【シンガポール】【インドネシア】

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【中国】

 ●日本帝国主義はなぜ一歩一歩中国に侵入できたのか

 1929年、資本主義世界に深刻な経済危機が発生し、日本帝国主義は経済危機を脱するために、中国への侵略のステップを速めた。東北に駐屯する関東軍は、31年9月18日夜、南満州鉄道柳条湖の1区間の線路を爆破し、逆に中国の軍隊が破壊した、と事実無根のことを言った。彼らはこれを口実に、東北軍の駐屯地を砲撃し、瀋陽の町を占領した。これが「918事変」である。

 ●蘆溝橋事変とは何か

 37年7月7日夜、日本侵略軍は北平西南の蘆溝橋に向かって侵攻し、かねて謀っていた全面的中国侵略戦争を開始した。中国の軍隊は奮起し抵抗し、全国的な抗日戦争がここから勃発した。「蘆溝橋事変」、またの呼び名は「77事変」である。

 ●南京大虐殺

 日本軍は南京を占領した後、南京の人民に対し、血なまぐさい大虐殺を行い、大きな罪を犯した。ある者は射撃練習の的にされ、ある者は試し切りの対象にされ、ある者は生き埋めにされた。戦後の極東国際軍事法廷の統計によると、南京占領後6週間のうちに殺戮された無抵抗な中国住民と武器を捨てた兵士は、30万人以上に達した。

(初等中学校教科書「中国歴史 第4巻」=人民教育出版社)


【台湾】

 ●日本の権力支配

 1895年の台湾総督府成立後、日本政府は台湾に対し不平等待遇政策をとり、また総督が行政、立法、司法、軍事大権を総攬する総督専制の体制を作った。

 ●皇民化運動

 1937年中日戦争が勃発し、台湾は日本の南進政策の基地となった
兵力の供給源問題を解決するため、日本は「皇民化運動」を実施した。台湾人が日本式の生活習慣を身につけることを奨励し、日本語を話し、日本姓に改め、日本の神々をまつるなどの方式で台湾人の同化に拍車をかけ、日本国民の愛国心と犠牲的精神を持たせた
 太平洋戦争勃発後「皇民奉公会」が成立して、台湾人民を戦時体制に組み入れ、その後さらに台湾において徴兵制を実施し、日本軍の侵略性と暴力文化が存分に現れ出た

(国民中学3年下期「社会3の下」=仁林文化社)

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[ 2012/06/12 ] 「アジア解放」

東南アジア諸国の「日本の安全保障政策についての認識」

出典外務省の「ASEAN諸国における対日世論調査」

(1)実施時期: 平成14年5月~9月
(2)調査対象: ASEAN6ヶ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)の18歳以上の識字層の男女800~895名。
(3)調査方法: 調査員による面接形式。

※括弧内の数字は各々前回及び前々回の回答率。



日本はどのような政策で日本の安全保障を確保していると思いますか。

「ある程度の自衛力を持ちながら諸外国との友好関係を維持することによって」

インドネシア:45%(27, 43)、マレーシア:33%(17, 16)、フィリピン:51%(41, 24)、
シンガポール:12%(13, 18)、タイ:34%(33, 29)、ベトナム:28%

「強力な軍事力を持ち日本の独力で」

インドネシア:21%(30, 23)、マレーシア:25%(33, 37)、フィリピン:19%(24, 28)、
シンガポール:33%(31, 30)、タイ:8%(18, 12)、ベトナム:28%

タグ: 東南アジア, 太平洋戦争, 「アジア解放」, 軍事, 海外の声, アンケート, 外務省,

[ 2012/06/03 ] 「アジア解放」

[太平洋戦争] アジア各国教科書の記述

元記事作者様アンチ「ゴー宣」



フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」(一九八一年版)

「日本軍の残酷さ-とくに地方での女性に対する邪悪な扱い-は、多くの市民がゲリラになる要因の一つであった。ゲリラ活動の広がりを危険視した日本軍は、フィリピン市民に対して残酷さをいっそう加えるようになった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。」


インドネシア 中学校用「社会科学・歴史科 第五分冊」(一九八八年版)

「当初、日本軍の到来はインドネシア民族に歓迎された。インドネシア民族は、長く切望した独立を日本が与えてくれるだろうと期待した。
 どうしてインドネシア民族は、このような期待を持ったのだろうか。それは日本がやってきてまもなく、つぎのような宣伝を展開したからである。

 -日本民族はインドネシア民族の「兄」である。日本がきた目的は、インドネシア民族を西洋の植民地支配から解放することである。
 -日本は「大東亜の共栄」のために開発を実施する。

 その実体はどうであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。日本は結局独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。資源とインドネシア民族の労働力は、日本の戦争のために搾り取られた。」


タイ 中学二年生用 社会科教育読本「歴史学 タイ2」(一九八〇年版)

「タイ人の多くは、日本がタイを占領し、横行することに不満を感じていた。タイ人グループの中には、日本と同盟関係を持つという政府の方針に反対するものもあった。これら一般民衆グループには、連合国から遣わされたリーダーがいたものと思われる。(後略)
 在英タイ人留学生の大部分は運動(koβ註:自由タイ運動、反日独立運動のこと)に参加し、イギリス政府の援助を受けた。アーナンタ・マヒドーン王の名代であるプリディ・パノムヨン摂政は、タイ国内に抗日地下部隊を設立した。そしてアメリカやイギリスの自由タイ運動と連絡を取り、様々な行動を起こした。例えば、日本の兵力や動向に関する情報を連合国側に提供したり、破壊行為によって日本の通行を妨害したり、また、日本兵を拘引したりして連合国を援助した。」

タグ: 東南アジア, 歴史教科書, 太平洋戦争, 侵略, 日本軍の蛮行, 「アジア解放」, アンチ「ゴー宣」,

[ 2012/05/23 ] 「アジア解放」