「世界戦争犯罪辞典」に書かれた日本の戦争犯罪

出典:「世界戦争犯罪辞典」(編・秦郁彦、文藝春秋)



旅順虐殺事件」(1894年11月21日~25日)
日清戦争で大山巌大将指揮の陸軍第二軍が旅順攻略の際に発生した事件。被害者は2千~2万人と言われている。

朝鮮東学党に対する掃討作戦」(1894年8月~1895年3月)
日韓両軍による朝鮮東学党農民に対する苛烈な掃討作戦。日本軍の記録によれば戦闘で6000人、処刑5600人とされているが、5万人という説もある。

閔妃暗殺事件」(1895年10月8日)
朝鮮正妃である閔妃が、王宮で日本軍兵士、壮士、大陸浪人らによって惨殺された事件。

3.1独立運動事件」(1919年3月1日)
朝鮮における最大規模の反日運動で日本官憲により多数の死傷者をだす。

台湾霧社事件」(1930年3月27日)
日本統治下の台湾霧社で先住少数民族タイヤル人の武装蜂起に対し日本軍、警察が毒ガスを使用して鎮圧。

平頂山事件」(1932年9月)
満州国建国半年後、満鉄の撫順炭鉱を警備する日本軍守備隊が近くの平頂山集落の中国人住民を大量殺害した事件。被害者数は400~3000名。

陽高事件」(1937年9月)
支那事変初期において内モンゴルの陽高で関東軍チャハル兵団(兵団長:東条英機)が引き起こした中国人虐殺事件。被害者数350~500名。

南京虐殺事件」(1937年12月)
日本軍が首都南京を攻略した際、2ヶ月にわたって多数の中国人捕虜、敗残兵、便衣兵、一般民間人を殺害した事件。

百人切り」(1937年11月~12月)
南京攻略戦において野田少尉と向井少尉が敵兵百人切り競争をし、それを報道した東京日日新聞の記事が証拠とされ、戦後戦犯として処刑された事件。実際は100人も切っていなかったらしいが、0人ではなかったらしい。

重慶戦略爆撃」(1938年12月~1941年9月)
日本陸海軍航空部隊が首都重慶に対し反復実施した大規模な戦略爆撃で多数の民間人死傷者を出した事件。しかし戦犯として訴追された日本人なし。

七三一部隊と細菌兵器」(1933年~1945年)
石井機関の七三一部隊と一六四四部隊が組織的に人体実験を行う。七三一部隊の記録によれば1943年までの検体数は850体。1940年10月27日に南京の一六四四部隊が寧波市でペスト蚤を散布。この攻撃後から2ヶ月間の寧波市でのペストによる死者106名。ちなみに、日本は生物兵器を禁止したジュネーブ議定書を批准していない。
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タグ: 戦争犯罪, 日本軍の蛮行, 太平洋戦争, 日中戦争, 世界戦争犯罪辞典, 秦郁彦,

[ 2012/06/02 ] 戦争