「西蔵の平和的解放の弁法に関する協定」と「韓国併合条約」

元記事作者様誰かの妄想



ま、どちらも強制されたもので似ているな、と。


「西蔵の平和的解放の弁法に関する協定」というのは、1951年5月にチベット代表団が北京で中国共産党政府と結んだ協定であり、締結にあたって人民解放軍の圧力があったことは想像に難くない。

この協定は、同年9月にラサのダライ・ラマ14世(当時16~17歳)によって、批准されている。


また、1950年10月の人民解放軍のチベット侵攻に際し、チベット政府は英米インドに支援を要請したが、英米は同情のみで具体的な支援は行わず、インドにいたっては「チベット問題は中国の内政問題」として取り合わなかった。


この辺は、ハーグに密使を送ったにも関わらず列強から支援を得られなかった大韓帝国皇帝を髣髴とさせる。


また、1910年の韓国併合条約締結にあたって、地方では義兵などの反日闘争が展開されたものの、ソウルでは日本軍の圧力により(当時、韓国軍は伊藤博文によって解散させられ、日本軍1個師団強が展開していた)平穏だったことも、1951年のチベットに似ている。


と、ここまで徒然に書いたのであまりまとまってないなあ・・・。ま、いいか。
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タグ: 中国, チベット, ダライ・ラマ14世, 韓国・朝鮮, 韓国併合, 植民地支配, 侵略, 誰かの妄想,

[ 2012/07/20 ] 中国の民族問題